とんだ勘違いから運命の場所へ ~移住を考えたきっかけ
人事異動の結果を受けてある種の燃え尽き状態に陥った私を見かねて、夫が旅行の提案をしてくれた。
大自然の中で2日間のキャンプ。何も考えずに、雄大な景色の中でお酒でも飲んでダラダラする。という計画。
あー、そういうの良いわー。ということで、早速夫が高速バスの手配をしてくれた (我が家は車を持たない族)。
以前にも訪れた場所だし、楽しみができて少し気持ちも上向いて、ダラダラするための道具一式を120リットルザックに詰め込んだ。4歳の息子も上機嫌だった。
ということで当日、新宿から高速バスに乗り込んだ。気分はキャンプ。ルンルン。
そしておよそ3時間半後。
大自然でも観光地でも何でもなさそうな田舎町の路上に、私たち家族3人はポツンと降ろされていた。
まったく見覚えのない景色。しかも大雨。
状況が飲み込めず呆然とするも、とりあえず雨をしのぐため、無人駅の小さな駅舎に駆け込み、Googleマップを開いた。そしてようやく、何が起こったのかはっきり理解した。
高速バスを乗り間違えたのだ!!!
夫が、行きたかった場所に似た名前の、違うバス停に停まる高速バスを予約したのだ。
なんでだよ💢いや、気づかない私も悪いけれど。でも何でだよ💢
口を開いたら怒りを全放出してしまいそうだったので、グッと堪えた (いや、2、3は何か言ったかも)。
当初の予定の地に向かうには、高いお山をぐるりと回り込んで、4時間はかかる。しかもレンタカーを借りるしかない。実質、無理だ。
でもだからと言って帰宅するのも腹立たしい。
無言のままGoogle検索を続けていると、とあるゲストハウスが引っ掛かった。ちょうど息子が「寒い」と「お腹すいた」を連呼し始め、いつまでも駅舎にいるわけにもいかなかったので、とりあえずダメ元でゲストハウスに電話をかけ、藁をもすがる思いでそこに向かった。
タクシーで10分ほどでたどり着いたそこは、冗談抜きで輝いて見えた。
古民家を改装したという室内は無垢の木が温かく、薪ストーブが優しく燃えていて、玄関を入っただけで不思議と癒される空間だった。
ちょうど食堂がランチ営業しており、早速日替わりメニューをいただくことに。
雑穀米と、野菜中心のおかず。シンプルだけれど、どれも優しくて美味しくて、一口ひとくち噛みしめるうちに、心がほどけていく感じがした。
あれ?なんで私、泣いてるんだろう?
ポロポロ涙が落ちてくる。
そうか、ちょっと仕事人間になりすぎていたな。頑張ろうとし過ぎたな。疲れたんだな。
自分自身の心に向き合って、急速に楽になった。
翌日は晴れたので、近くを散歩することにした。
雨の日にはわからなかったけれど…
なんて雄大な景色!!
突き抜けるような青空、町を取り囲む高い山々、とうとうと流れる澄んだ川、風にそよぐ青々とした稲。
何度も深呼吸したくなる。初めて来たのに、なぜか懐かしい。
この町が好きだな。
いつの間にかそう思っていた。
その日、宿のご主人とじっくり話す時間があった。
なぜここにたどり着いたのか。そもそもなぜ旅に出たのか。するとご主人が言った。
「こっちに住んじゃったらどうですか?」
え?!と驚いていると、
「木揺さんの専門のお仕事もこっちなら色々あるし。ちょうど知り合いのところで募集もしてますよ、せっかくだから連絡してみましょう!」
といきなり電話し始めた!
そんな、まさか、だってまだ今の仕事を辞めると決めてもいないし、と言うかこの町に来たのも初めてだし!!
心臓バクバクの私をよそに、履歴書を送ってみることが決まった。
とんでもない急展開。コツコツと地道に人生を歩くタイプの私には考えられない話だ。なのに、なぜか「おもしろい」と思った。なんとなく、この流れに乗ってみようと直感的に思った。
結果的に、その会社への就職はタイミングの問題で不可能だったのだが、これがきっかけで「履歴書を書く」ことになり、そこから「転職」と「移住」がゆっくりと現実化していくことになる。
こうして、とんでもない勘違いで出会った町に、私は引き寄せられていくことになる。
一年半前の失望と辞めたい気持ち ~人事異動
今回はちょっと具体的なことを書く。
一年半前、人事異動があった。
公務員なので、毎年、部署の人間は入れ替わるのだけれど、このときは施策の転換期に差し掛かる時期であり、且つ幹部が入れ替わる年だったので、今後の施策展開を左右する重要な人事異動だった。
人事は、蓋を開けてみるまでわからない。特にシモジモの者にとっては。まったく読めない。
とは言え、本課の課長の第一候補と言われる人はいた。私は、この第一候補の人(A氏)が課長になることを望んでいた。A氏は理論派なので、この方が課長になれば、グダグタになった施策がまともな方向に軌道修正されるだろうと思ったからだ。我が社の意志決定プロセスはいい加減で、トップ次第でどうにでも動いてしまうのだが、下馬評通りA氏が課長になるなら、良い方向に動くだろうと思っていた。
5月末。人事の発表。番狂わせが起きた。第一候補だったA氏は完全に外様の出先機関に追いやられ、全く予想していなかったB氏が課長席に座った。どうやら、部長に昇格したそれまでの課長C氏が、以降も院政を敷いて影響力を発揮するための人事だったようだ。
というわけで、グダグダな施策が今後も長く続いていく礎ができてしまった。
私の専門分野は、50年100年という長い時間で物事を捉え、考えていく必要がある。だからこそ客観的に状況を見極めて、いわゆるPDCAサイクルを回すのが重要なのだが、行政という組織の理屈の中では、動き始めたものを止めたり、軌道修正するのは容易ではない。修正の可能性があるのは転換期に差し掛かったとき、つまり今なのだけれど、B氏もC氏も客観的な分析の視点を持たないので、恐らく、何も変えられないまま進んでいくのだろう。現にあれから一年半、ズルズルと悪い方へ向かっている。
ちなみに、現在の施策に疑問を呈しているのは私だけではなく、「あれ?」と思っている人は他にも何人もいる。普通に考えたらおかしい話が満載なので、「あれ?」と思う人口は増えているはずだ。もしかしたらこっちがマジョリティーかもしれない。それでも何も変えられないのを、私は本課勤務の間に知ってしまった。どんなに根拠を積み重ねて、下々の者で議論を重ねて理解を拡げても、上の二人に持っていけば却下されるのだ。論理破綻を指摘しても、聞く耳は持たない。B氏C氏にあまりにも話が通じなくて、打ち合わせ後に班長以下4、5人でため息をついてうなだれたこともあった。
「意見照会」などと言って同じ技術系職員に広く意見を求めたりするが、それは「意見を聴きました」と言うための儀式であって、残念ながら何も取り入れられることはない。
そんなことの繰り返しで、疲れ果てた。
念のため補足しておくと、議会は機能していない。議員先生はスクリプトを読む役者に過ぎない。彼らがもっとまともに働いてくれたら、たとえ行政の部課長がアンポンタンでも、軌道修正はできるはずなのにと、いつも思う。
話があれこれ広がってしまったが、とにかくこの一年半前の人事異動で、「あー、終わったな」という失望感が私の中でかなり膨らんだ。このままこの仕事を続けても、おかしな方向に進む列車を押すことに加担するだけだ。しかもその結果が見えてくる数十年先にはB氏もC氏もおらず、責任を取らされるのは私たち世代だろう。
そんなわけで、「辞めようかな」という思いが、漠然と、でもこれまでで一番はっきりと湧いてきた。
志はどこか他の場所でも活かせるはず。そう思ったのが、一年半前だった。
次回は少し前向きな展開を書く予定。
これまでのこと ~今はまだ公務員です
東日本大震災が起きた直後の4月、私は某県の公務員になった。
日本中が悲しみと混乱に飲み込まれていたあの春、大学院を出て、ある専門分野の技術系職員として(いずれ具体的に書くかもしれないけれど今日は伏せておく)採用された。あの時期だったからか、「公務員」になった責任や重圧をビリビリと感じたのを覚えている。そして、その感覚は、微弱な電流のような感じで、今もお腹の底の方でずっと残り続けている。
とは言え、私の仕事は、一般の人が抱く「公務員」のイメージとは、少し違うかもしれない。
作業服を着て、ヘルメットを被って、現場を歩く。地域住民の苦情や相談をその場で受けることも多い。
胃が痛くなるようなことも多々あるけれど、やりがいは感じてきた。
そもそもこの仕事に就くのは、高校生からの夢だった。休日にとあるワークショップに参加したときに、ボランティアで来ていた県職員の人たちを見て、憧れた。この分野で、こんな風に働きたい!そう思った。
そうなるために、大学を選び、大学院まで出た。
たぶん、こんな思い入れがあって入庁した人は、そうそういないだろうなと思う。
それなのにどうして、辞めるのか。
簡単に言えば、思いがあるからこそ、責任を感じるからこそ、やっていられなくなった、という感じかな。
税金を使って「県民全体に奉仕する」はずの自分たちがやっていることは、実は県民への裏切りなのではないか、と思えることが多すぎて、辛くなった。
罪悪感みたいなものが積み重なって、モチベーションが落ちた。技術者倫理を捨ててまで続ける気がなくなった。。
詳しくは追々、書けたら書いていこうと思う。
さて、そんなこんなで退職をはっきり意識し始めたのが今から一年半前くらいだろうか。
もちろん最初は、漠然とした思いだった。
それが色々を経て、先月、今年度一杯での退職を上司に申し出た。
今はまだ公務員。でも終わりが見えてきた。
次回からは、一年半前からの色々を少しずつ書こうと思う。